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小野寺 たかお 公式ページ

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小野寺たかおの志作文

何故、政治家を目指したのか?

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地域の未来を変える仕事ができる人になりたかった。不便だった離島の暮らしを変えたいと思った。

祖父母が大好きだった政治家、田中角栄のような政治家になり、島の暮らしを変えたかった。陸続きの街を同じような交通の便の良い暮らし、例えば・・・買い物も病院に行くのも親戚や友人に会いたい時に会うのも、島で暮らす人には船の運航に左右され制限があった。

また、地元には仕事の口が少なく、私だけでなく、島の多くの子供たちは、大きくなったら、島を出て暮らすように親、祖父母から教育を受けた。これは『テンデンコ』という三陸地方の精神文化の影響もあったかもしれないし、海で働く人たちの習慣によるものかもしれなかったが、私は長男でありながら、島を離れて暮らすように言われ育った。祖父母が憧れた政治家、田中角栄は、山を切り開き、道路を整備して、仕事を地元に持ってきたと幼少のころから聞かされて育った私は、政治家になれば、仕事を地元にもってきて、島に残って暮らせると思って、果てしない夢を見ていました。

私は、地域の現実を乗り越えて、地域の未来を変えるため、政治家を目指しました。
私はより多くの家族がともに暮らせる地域を創ることが政治家としての目的です。

何故、行田に来たのか?

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幼少の頃から政治家になることを夢見て、15歳の時に政治家になることを意識しました。しかし、挑戦と挫折を繰り返した結果、私はいつしか40代も後半になっていました。

2015年5月、柿沼貴志さんと出会いました。共通の友人が仙台市議選に挑むことになり、その準備をしていた時でした。柿沼さんは当時、県議選に負けた直後でしたが、友人のために仙台に来て、住み込みで支援活動しました。私も当時、社会保険労務士事務所に勤務しておりましたが、一時、離職させて頂き、友人の選挙準備を手伝っていました。

日々、さまざまな選挙に向けた取り組みをしていく中で、柿沼さんから言われた言葉がのちのちまで私に引っかかっておりました。

それは、『政治は、自分で立つか、誰かを応援するかの2択だ・・・』

私は40代も後半に至っても、家族の反対を乗り越えられず立候補すらできないのだから、自分の想いを託せる人を応援する側の人間に、割り切って徹するべきだろう・・・と思うようになりました。

そう思い始めると、政治への情熱も急速に冷めて、また人生さへもどうでも良くなり、日々をこなすだけになっていました。政治への未練を断ち切るのと、柿沼さんとのお別れのために、前回の県議選の最終日、行田に来ました。

選挙戦の最終日の朝、私は柿沼さんとからくり時計のところで、朝立ちをしました。昼間は、あるいて、東栄の街を歩いて、集会のご案内をしました(ちなみにその時一緒だったのは、現在の山口自治会長でした)。東栄の集会が終わると、桜の咲く忍川沿いを歩き、埼玉りそなの前で立会演説会を経て、最期は緑町の選挙事務所に走って向かいました(その時、一緒に走った人が、現在、東栄のソフトボールの監督、河野さんでした)。緑町のマイク納め式が終わると、柿沼さんは吉野京子さんと抱擁した次に、私と言葉を交わしてくれました。その時の柿沼さんの正確な言葉は覚えていませんが、『俺はやりきった』と言っていたと思います。

その選挙戦から数日後、柿沼さんとのメール等のやり取りで、秘書を探していることを知りました。私は即決で秘書にして欲しいと名乗り出ました。柿沼さんも私の身柄を引き受けて下さることを決めて、私は行田に来ることになりました。

どうして、今・・・挑戦しようと思ったのか?キッカケは?

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行田に来て以来、地域の未来を変える政治家と見込んだ柿沼さんと政治活動ができることが私の生きがいになりました。

柿沼県議のもとで仕事をすることで、行田の未来を変える役割を末席ですが果たせると思いました。

政治家には、なれなかったけど、柿沼県議を通じて、地域の未来を変える仕事ができると思いました。

そして、3年が経過したころ・・・柿沼県議が地域の未来を変える政治家であることに疑いはなく、むしろ3年を経て、確信に至りました。柿沼県議抜きに、行田の未来は変えられないのは確かです。

しかし・・・柿沼県議だけでは、行田の未来は変えられないことも悟りました。
柿沼県議が目指す方向に向かって、協力・連携する人が必要だと思うようになりました。
同時にその意志を明確に持って働くことが、私の役割だと自覚しました。

行田はかつて、足袋で栄えた街です。合併した南河原もスリッパ産業で栄えた村だったようです。しかし、官民一体で街を運営して来たかと言えば、残念ながら、そうではなかったと思います。官は、官。民は民。そして、行田は行田・・・近隣市町村や県・国との連携はせずとも単独でやっていけるくらい、裕福で災害の少ない安全安心な街だったが為に、互い互いが連携せずともやってこれた城下町のアイデンティティーの豊かさ、強さが逆作用して今の行田を生んだと私は思います。これは、よそ者の視点です。また、私は10数回も引っ越しをして、全国各地で仕事をして来た経験や肌感覚から、そういう風に思いました。

柿沼県議が目指す方向に、今こそ、チーム行田、チームカッキーで立ち向かうべきだと思います。

その為に私に何ができるのか?私の果たすべき役割は?をこれから、述べたいと思います。
それが、今回の挑戦の理由や原動力、動機です。そして、何故、今なのか?の答えです。

さらに補足すれば、柿沼県議の秘書を3年間勤めていて、最初に疑問に思ったのは、事務所を市役所のそばに設けた意図が半分しか叶っていないことでした。

市民の方々が市役所に来たついでに事務所に来て下さる、そういう意味では柿沼の意に叶っています。しかし、市議さんや市の職員の方が面談で足を運んでくださることは思っていたほど多くはありませんでした。最初はそういうものだろうと思いました。しかし、行田にきて少しづつ、他の自治体の政治家さんと知遇を得ると、他市の状況とは大きく異なることに気がつきました。他市の場合、市役所からの県議への要望は年間で100軒を超える場合もあります。それが行田では、私の数え間違いはあるとしてもせいぜい、年間4~5軒でした。まして市議さんが情報交換で来所されることは1部の市議さんを除くと皆無に等しい状況でした。

一方、柿沼県議は皆さんがよく知っているようにフットワークが良く、活動的な政治家です。柿沼県議が2期目を目指すことになってからは、柿沼県議にもっと良い仕事をして頂くには何が必要かを私は考えるようになりました。

それは市との緊密な連携です。市の情報、要望を柿沼県議に繋ぐパイプ役が必要だと私は考えました。パイプ役を果たすには、会派を形成するような市議グループが必要ですし、会派の垣根を抜きにして、県議と市議の意見交換の場を作ることが目標になると私は思いましたが、そのキッカケは誰が作れるだろうかと考えた時、そのキッカケを創る役目は、いかにパイプ役が必要か、その重要性を熟知している私だと思い至りました。

市と県議を繋ぐパイプ役、大きなパイプを創るキッカケになる役目を果たすのは私の役割だと思いました。そして、柿沼県議が2期目を目指す今がその時だと思いました。

それと・・・日々、市民のみなさんから事務所に寄せられる相談、要望の8割は市に関連するものです。私は、そういう市民のみなさんが柿沼県議を頼ってきてくださる案件を迅速に、そして、できることもできないことも正確に回答して、市民のみなさんが少しでも納得できる解決方法を探す仕事を、人任せにするのではなく、自分が責任をもって果たしたいと思いました。市民の方々か寄せられる要望に対して、完全にこたえられることの方が少ないのは事実ですが、これまで秘書業務を通じてどこまでならできるか?を行政と知恵を出し合う体験をしました。こうした秘書業務を通じて体験したことを市議となり、市民と行政を繋ぐ橋渡し役を果たすことも私の役割だと思いました。

この2点が今回、私が市政に挑むキッカケとなりました。
((市と県議を繋ぐ、市民と行政を繋ぐ役目を果たすことに使命感を感じた))

私が見た行田、その未来のために私が果たすべき役割

柿沼県議と同じ方向を向いて仕事をする

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最初に政治家になることを夢見たように、私は、地域の未来を変えることが政治家の仕事だと思っています。

私は、3年間、行田の街を見てきて、行田も過渡期の真っただ中にいると思いました。私の生まれ育った気仙沼ほどではないにしても、相当、未来の展望が暗いと思いました。

行田の良いところが全然生かされていないばかりか、失われつつあります。

よそ者の私から見て、行田で古くから暮らすご家庭には、似たような特徴があります。同じ敷地内で2世代、3世代で暮らしているところ。恐らくは代々、何世代にも渡ってこの地域で暮らして来たご家庭がたくさんあります。私が生まれ育った地域では繰り返し訪れる災害・・・地震や津波などの災害で、家族の暮らしが断絶することが多かったものですから、自然と『テンデンコ』の精神文化が良くも悪くも根付いています。それは、家族の一員として、他の家族に迷惑をかけないことが家族の為になる、また同じ船、同じ仕事につかないことが一族の共倒れを回避するという意識です。家族が助け合って、同じ敷地内に暮らす・・・という例は行田に比べたら全然少ないです。

私から見た行田は、私がかつて気仙沼 大島で実現したかった家族・家庭の姿があると思うのです。うらやましいです。家族と暮らせること、災害が少ないこと。職場だって、私から見たら、東京まで60分圏内なのだから、仕事に困ることなどないです。私の暮らしてきた街に比べたら、行田は理想に近い街です。

しかい、それが今、崩れかけているのも事実です。他の地域と同じように行田でも空き家がたくさん増えています。消滅可能性都市の上位にランクされてもいます。

行田の未来を変えるのは、まったなしの時期に来ていると私は感じます。

そもそも、行田には計り知れないポテンシャルがあります。
行田の優位性は災害の少ない安心安全な街、東京に近い立地、群馬や栃木との近隣県とも近いことを活かした街づくりとインフラ整備で行田が北関東の一大拠点になる可能性があります。

  1. 群馬と埼玉を結ぶ、利根川に新橋をかける構想があるそうです。それは、熊谷市側か行田市側の2択になるそうですが、今のままなら、熊谷市側にかかることになります。それが早期に、行田市内の中心部を走る常盤通佐間線の整備、それに続く酒巻停車場線の延伸により、利根川沿いの羽生妻沼線と結ばれることで、行田市側に新橋がかかる可能性があります。

  2. 次に、関越自動車道と東北自動車道を結ぶバイパス道を作るという構想もあるそうです。そのバイパス道を行田に通すことで人や物流れを大きく変えることでしょう。

  3. この2つの構想の前の段階で、可能なことは、上尾道路が鴻巣まで来ていることで、近い将来17号バイパスの交通量は増えることが見込まれています。その17号バイパス沿いの開発を進めることも行田の未来を大きく変えることができると思います。

これ3点が柿沼県議の描くグラウンドデザインの一部です。私は県議が描くグラウンドデザインと同じ方向を向いて、市と県議、市民と県議を繋ぐ役割を果たし、実現に向けて汗をかきたいと思います。

地域の枠にとらわれずに広く要望・意見を聴く

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これまで秘書業務を通じて培った、市民の方々の声を聴く、行政に届ける、善処し回答するという一連の経験を、市議となってさらに踏み込んだ形で実践したいと思います。

先ほど県議のグラウンドデザイン実現に向けて汗をかくと申し上げましたが、私の果たすべき役割りには、地域が変化していく中で、取り残される人がいないようにケアして行くことだと認識しております。例えば、道路の利便性が良くなっても地元の地域社会においては、交通量が増えることに伴い交通事情が変わると、そこに対応しきれない高齢者やお子様たちの歩行時の安全が脅かされる危険性があります。そうした危険性を市民目線で予防線をはること、また地域の人の声を広く聴いて、改善提案をして行くことが私の役割だと思います。

現在、行田では地元ごとに市議さんがいらっしゃることは当然、私も自覚しております。ただ、お医者様との関係においても、今ではセカンドオピニオンを求める方が多いように、地元の市議さんだけでなく、県議とのパイプを持つ秘書の私だからこそ、より速く正確に県議と情報共有を果たすことで市民の方々の要望にかなう場合もあります。そういう意味では、地域の枠を越えて、地元の市議さんたちの補助的な役割を果たすことも私の役割だと認識しております。

秘書、社労士、営業マンの経験を活かして、市政に挑む

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柿沼県議の秘書として、実現に向けて取り組みたいことがいくつかあります。例としては、柿沼県議が現在も取り組んでいるのが、高校のスクールカウンセラーの待遇改善です。これにより、一人でも多くの子供たちを取り残されることなく、救い上げることが柿沼県議の目指すところです。ただ、その取り組みには、市との連携も必要です。中学校から高校に進学する時に、生徒の情報が十分に共有できないがために、高校進学直後の問題を抱える生徒さんを救えない課題があります。これは、今後、県の指導も始まるようですが、行田市においても、中学校から高校に進学する際に、教育支援カードの活用をすることで、生徒さんの情報を迅速に正確に共有するようにお願いして行きたいと私は思います。柿沼県議の働きかけでスクールカウンセラーの待遇が改善されても、入学時の生徒さんの情報が不十分であれば、救える体制があっても救えない生徒さんがでてしまいます。柿沼県議と同じ方向を向いて仕事をするとは、こういうことです。柿沼県議の仕事の下支えすること、ケアすることで市民に寄与することが私の果たすべき役割だと思います。

社労士としての経験を活かす・・・私は③助成金申請をメインに、②企業の労務環境の改善、整備、①社員の評価基準などの提案をして来ました。その視点に立ち、私は、市役所 職員様の労務環境、評価基準に対して、いくつかご提案申し上げたいことがあります。(具体的な内容は下記の※2に譲ります。)また、職員様にご提案する以上は、隗(かい)より始めよ・・・自分からはじめよ・・・の実践のつもりで、議員報酬についてご提案したいと思います。(具体的には、これは下記※1に譲ります。)最後に補足的な意味合いですが、助成金の申請業務を通じて経験したことを市役所の方々にお伝えしたいです。それは、県でも国でも、実際に、先方に出向いて情報収集して、ダメ元で補助金にチャレンジするという姿勢や行動です。これは、今や、税収の少ない行田市には必要なチャレンジだと私は思います。また、非常にハードルは高いと思いますが、国に対して、こういう助成金(※3に譲ります)、補助金を創設して欲しいという働きかけも、県や国の機関に出向いた時には提案できるようだと理想的ですし、私も可能ならば同行させて頂きたいです。

最後に営業マンの件を市政に活かしたいと思います。それは、新規営業も既存客のフォローもクレーム処理もこなしてきた経験を活かして、市民に政治の現場で起こっていることを市政報告として行い、そこで市民の方々からお聴きした声を行政に伝える、こうしたサイクルで活動したいと考えています。また、同様に柿沼県議と市議との情報交換会を四半期に1度、年4回開催したいと考えております。この活動が目指すところは、何度も申し上げたことですが、柿沼県議と同じ方向を向いて仕事をするという流れを、市民の方々、市議の方々とも広く共有し、行田の未来を変える大きな流れをみんなで創りたいと思っています。

※1 議員給与の改定・・・基本報酬を最低賃金並の最低保証給与として支給

月間平均160時間労働と仮定して時給を987円×160時間=157920円
その反面、政務活動費の拡充を提案します。
例えば、経験上、毎月最低限かかる経費を下記に事例として述べます。
仕事をする市議は先進的な事例を視察する為、全国各地を回る際の交通費(30000円)が必要ですし、視察や議会の報告をする為の報告書・チラシを作成(30000円)し、それを広く市民の方々に配るために相当な経費(70000円)が掛かります。市内各地を毎日走り回ると最低毎週30リットルの給油が必要です。秘書として活動している今、30リットル×165円×4週=19800円以上は経費として使います。また、各地でミニ集会を開催すると、会場代は自治会ごとに異なりますが経験上、平均で3000円。月4回のミニ集会をすると会場代で12000円かかります。また、1集会あたり平均で500枚のあいさつ文チラシを印刷します。また活動報告のチラシをミニ集会告知の案内と同時に配るので、あいさつ文と活動報告のチラシ代金は月平均で1200円(あいさつ文)+5000円
168000円の経費が掛かることが想定されます。ただし、これは、相当の活動量です。この活動できる市議さんは手前味噌ですが私ぐらいかもしれません。だから、最大168000円の政務活動費の枠を用意して下されば、ほぼすべての市議さんは、その額に満たない活動になることが予想されるので、実際には、168000円を満額で使い切る市議さんはほとんどいません。秘書を雇うとか、事務所を借りる場合に厳しい条件をつければ、168000円の政務活動費はなかなか使い切れません。そうなると結果的に議員報酬は大幅に削減できるうえに、政務活動費を大幅に拡充すれば、市民の目は一層厳しくなり、市民の方々のチェック機能が働き、不正の予防から不正の追求の機会を作ることにもなり、市議さんはより一層、襟を正した行動を取るようになります。最終的に、市民の為の働きが実現されるものと思います。その代わり、市議さんは相当ハードな職業に変わりますので、そこで、市議さんがハードに働けるのにふさわしい立候補の条件をつけることも必要かと思います。

従前 議員報酬407000円、月額10000円の政務活動費 → 417000円
提案 議員報酬157920円、月額168000円の政務活動費 → 325920円
これで単純に、一人あたり、91080円の経費削減にはなります。20人なら、1821600円の削減です。

あるいは、単純に報酬は日当制でも良いと考えております。

ただし、私は単純に議員経費を削減することが良いとも思っていません。成果を出した市議さんには、評価制度を新たに設けて、インセンティブとして成果報酬、成功報酬を付与すべきでは?とも考えております。具体的には今後、勉強して参ります。

下記は、議員報酬以外に提案したいことです。そもそも、行田の未来を変えるには、最初に市議会を変える必要あるのでは?と常々考えております。
①市議定年制 60歳(立候補時点の年齢を60歳までに制限)
②継続雇用に近い意味合いで、60歳以降の年齢で市議を継続している場合には、60歳以降のボーナスはなし。
③老齢の市議さんには申し訳ないですが。60歳以降どうしても政治家をしたいのなら、市長か県議か国会議員を目指して、それまでの人生における経験を上ステージで発揮して頂くことをおススメします。逆に若い人が議会に参加できる余地を作ること、また副業として市議をしたい人がいれば、政務活動費を使う活動はなかなか難しいと思うので、必然的に、安い報酬で市議を務めることになり、副業に見合った市議報酬となるので、理にかなっていると思います。さらに言えば、多選を重ねる市議さんのは、上のステージで仕事をする意識をもって頂くためにも、多選自粛のルールも欲しいと思います。3選12年市議を務めたら、市議を卒業して頂きたいと思います。

◆新しい市議像、『複』業の市議
若い人が市議になり易く、また兼業でも十分働ける土壌を作り、新しい市議像を市議全員で追求できる流れをつくりたいです。その一つの形が、『複業』です。議員報酬に頼らない収入を得ている、その道でプロになった人が市議も兼ねる形が私には、将来を見据えた場合にはふさわしい形だと思います。それには、通年議会・土日、夜間議会の必要です。ほかの仕事をしている人でも議会に出席できるような議会、また現役世代、学生さんたちも議会を傍聴できる機会が増えるこの形を私は望みます。

その他にも、新しい市議像に不可欠なことを以下に列記します。

政務活動費の報告義務化
議会報告の義務化
県議と市議間の意見交換会開催
『複業』の時代(議員報酬に頼らない市議)を先取りした議員報酬案を訴える(議員報酬の日当制、政務活動費の拡充)
議員定数の削減、公民館・地域センター数に近似し、委員会に均等に市議を配置できる18名を提案する
市議定年制の導入の提案

※2市民に寄り添う行政サービスの実現に向けて、魅力ある行田市の実現に向けて、市議を含めた市役所の目線が市民に向くような仕組み作りをしたい

(1)働き方改革、市議報酬改定の提言により、一層市民によりそう市政にする。柔軟な働き方を提唱します・・・業務のデジタル化の前に人がそれに慣れる為の仕組み作りが必要
・残業廃止・・・裁量労働制の採用により、大幅な残業代予算のカット。ただし、優秀な職員の方々のやる気を損なわず、それでいて、市民に視線が向くように、評価制度と残業代に代わる成果・評価報酬制度導入する。

(2)コーディネーター制度(評価制度の提案)
部署間を横断する課題について他部署との連携を取る司令塔的な役割。残業代予算を大幅に削減し、コーディネーターに報酬を与える。
導入により、部署間の壁を低くし、連携を促す。優秀な職員のみなさんが力を発揮しやすい仕組み作り・・・市民に寄り添うことが報酬と出世に繋がる組織作り。部署同士が垣根を低くすることで、他部署と重なり合う部分をつくり、市の課題に対応する。誰一人取り残さない行田市の実現に向けて、部署間の狭間で取り残される人、課題を救い、拾い上げることで行政サービスの向上を図り、その成果をもって市民の暮らしに恩恵をもたらしていく。

※3 若者移住助成金、本社・本校機能移転補助金、モデル都市の提案

行田市のように、災害の少なく、地価も都内より格段に安く、また広い土地がある地域に、企業の本社や大学・高校のキャンパス移転、リモートの時代に沿った企業の社員寮誘致や戸建ての住宅提供による若い世代の移住に取り組む自治体に国からの補助金や助成金が出るように県や国に対して、行田市から働きかける。また、未来型の都市作り構想が国にはあるそうなので、具体的な話がでる前に、ものつくり大学の専門家と連携して、国に未来志向のモデル都市の構想を提案し、候補地として名乗り出ることを提案します。

また、そうした助成金、補助金の前に、市の取り組みとして若者移住促進のために、リモートの時代にそって、住宅費用の補助をすることをIT企業各社に提案するとともに、将来、リモートで業務する可能性が高い学生が通う理系大学の学生課・就職課に対して、職場は東京でも住むのは行田を提案、勧奨し、学生さんが就職後、可処分所得を多くできること、災害が少なく安心安全な将来設計が可能なことをPRすることを市の取り組みとして提案したいと思います。

以下は、地域・市民の声を聴いて取り上げたご提案です
(1)鉄剣マラソンで参加者に景品をとして足袋をプレゼント
(2)小学校の生徒さんに足袋をはいてもらう
(3)資源リサイクルごみの買い取り価格を近隣他市並みにして欲しい
(4)さきたま火祭りを市の祭りにできないでしょうか?
(5)教育支援カードの活用・導入・・・中学校から高校にあげる際の市と県の情報共有ツールの活用。
(6)部署間のデータの共有化・・・例えば、不登校の児童には、家庭環境に複数の問題を抱えている事例が多い昨今です、不登校の児童のご家庭には、母子家庭でその児童の他にも幼い兄弟姉妹がいたり、介護を必要とする高齢者がいたり、生活保護家庭であることも実際の事例としてあることから、情報として入手した場合には、教育関係部署も福祉関係の部署も、検索可能なデータの共有化が必要かと思います。それが可能であれば、今、似たような部署がたくさんあるように見えますが・・・市民目線ではそう見えます・・・情報の共有化がなされれば、部署の統廃合も可能になると思います。

(7)ウィズさんは、不登校の生徒さんを学校に戻すことを目標に掲げ、実際97%の達成率だと聞きます。ただ、教育関係の部署では、その後そうした生徒さんがどうなったかを検証されているでしょうか?保健室登校になっていたり、一人壁に向かってプリントを相手にする授業をされて、不登校隠しのような扱いされた生徒さんは、高校に上がってから、問題が再燃します。そうした事例を洗い直して、ウィズさんの評価、目標設定を変えてはいかがでしょうか?もっと一人一人の生徒さんの為に寄り添うように評価や目標設定して頂きたいです。また、もしも、現在のウィズさんの施設が手狭で、多少、課題のある生徒さんでも早めに学校に戻さないとならない事情があるならば、廃校になった星宮小学校などの校舎を再利用してはいかがでしょうか?

(8)行田で取れたお米を学校給食に使ってもらう